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『自由の社会学』

 

橋本努著・NTT出版・201012

 

ごあいさつ

 


 

謹啓

 

 記録的な猛暑となった夏が過ぎ、その後は低温状態が続いてお野菜が高騰するという、まったくもって異常な気象が続いております。皆様、いかがお過ごしでしょうか。向寒の頃、ますますのご健勝をお喜び申し上げます。平素は、格別のご高配を賜り、心より厚くお礼申し上げます。

 さて、年末のあわただしい時期に、拙著『自由の社会学』NTT出版、2010129日刊)を刊行する運びとなりました。どうかお手隙のときにでも、御笑覧くださいますよう、お願い申し上げます。と同時に、皆様のご高配を乞う次第であります。

 本書のスタイルは、またしても、あまり類書のないものかもしれません。最初に、「自由の社会学理論」を構築しています。理論によって、自由主義思想の新たな局面を切り拓くことが、第一の狙いであります。以下の諸章では、現実のさまざまな事象に、政策的・規範的な観点から分析を試みています。そして本書全体としては、理論と実践の体系化によって、自由主義による社会の新たなビジョンを提起するという、いわば社会を巨視的にデザインすることに主眼を置いています。

 実は、前著『経済倫理=あなたは、なに主義?』の一部を用いて、これまでいろいろな方にアンケートを行ってきたのですが、それによると、現在の日本の支配的なイデオロギーは、「リベラリズム」であることが判明します。リベラリズム=自由主義は、いまでは、多数派のイデオロギーであり、それ自体としてみれば、もはや目新しい考え方ではありません。

 ですが本書『自由の社会学』は、リベラリズム=自由主義の観点から、むしろ多くの人にとって納得できない政策提案をいろいろと掲げているのです。奇抜で空想的なアイディアを喚起することを含めて、自由主義の新しい潜在的な含意を探っています。アンケートで「自由主義」に分類された方々には、自由主義ってこんなに斬新な思想でもあるのかという、驚きを与えるかもしれません。本書は当初、『統治改造論』という表題の下に探究されました。統治を改造するという企てに、本書は特別の関心を払っています。

 約10年前に、日本のリバタリアニズムを牽引する森村進先生は、ご高著『自由はどこまで可能か』(講談社現代新書)で、「自由の含意」を徹底的に探りましたが、多くの読者は、リバタリアンのように根本的な仕方で自由を支持するかというと、いやどこかで自由を捨てるという、穏当な自由主義の立場にとどまったことでしょう。私も穏当な自由主義にとどまったのですが、それでも本書『自由の社会学』は、森村先生とは別の方向に、自由はどこまで可能かを探っています。その立場を私は、成長論的自由主義とか自生化主義と呼んでいます。そこには納得できない政策提起も多々あるのではないかと恐れます。

 ですが規範論研究の意義は、大胆なビジョンを提起しつつ、その政策的含意を批判的に討議することにあると私は信じております。どんな善き社会も、批判的な討議が活性しないところでは、衰退を余儀なくされてしまうでしょう。また最近のサンデル人気の背景には、なんとなく体制に従って生きていても、善き社会のビジョンを本源的に問いたいという欲求が、多くの人々のあいだに生じているということがあると思います。本書の主張は、善き社会の一つの特殊構想であり、いわば議論のたたき台として受けとめていただけると幸甚です。契丹のないご批判を、お待ち申し上げる次第です。

 最後になりましたが、皆様のご健康を、心よりお祈り申し上げます。

 

謹白

 

201011月末

橋本努